改めて大学に行く必要があるのかを考える
今日の朝はミーティングの電話で起きた。
と言うのも、7時からオンラインミーティングの予定だったが、8時に目覚めてしまった。
そんなこんなでミーティングが終わり、Facebookを開くと、1人の友人がこんなポストをしていた。
「大学に行く行かないで悩んでる」
個人的にはすごくテンションが上がった。
同じ悩みを自分が同じ頃持ち始めただけに、凄く共感した。
だからこそ、一緒に悩みたいと思った。
自分も答えは見えていないからだ。
でも、彼にも明確にやりたいことはあった。
そのために大学にわざわざ行くのは遠回りだと感じたようだ。
先日、教育支援系団体の偉い方とお話しする機会があった。
上のような話をすると、
「大学には行った方がいい。行って授業以外の時間にやりたいことをすればいい。」
一見すると、至極真っ当だが、僕は同意できなかった。
どうして意味を見いだせていない場所に時間を割いてやりたいことを制限するのかと。
きっと彼には僕が今ギャップイヤーをとってNPOやベンチャーでインターンしたり、自分で団体を立ち上げていることは聞こえていなかったようだ。
この議論は結局、そこにバリューを見出せるかそうでないかの違いだ。
それができれば行けばいいし、できないなら取り敢えずは行かず、必要性を感じたら行けばいい。
もっとも、個人でなく組織に学歴が必要なら、それを持つ人を引き込めばいい。
多様な進路選択ができるべきで、それは尊重されるべきであると思う。
そういう基本的な思想を持ち合わせていない寂しい大人がどうやら世の中にはまだまだ多いようだ。
自分たちで若者を息苦しくして、「やれ、最近の若者は」と言う。
僕からしてみれば、学生運動に勤しんだ「若者」の方が理解できないよ。
「勉強しろ」と言う彼らは果たして大学で「勉強」していたのだろうか…