一橋大学大学院社会学研究科合格体験記―①入試制度編
本記事の目的
本記事では、タイトルの通り一橋大学大学院社会学研究科を目指す方に向けて、院試前に必要な準備、院試の各種書類のコツ、面接の雰囲気などをお伝えし、これを読めば過不足なく、情報の非対称性に嘆くことなく院試に臨めるようになることを目指しています。自分も情報がなかなかなく不安を抱えたまま受験をしたので少しでも参考になる方がいらっしゃれば幸いです。
おことわり
この記事では、大学院に進学して研究に取り組みたい方を主な対象としています。単に学歴(学位や大学名)の獲得・更新のために挑戦されたい方にはあまり有益な情報がありません。
入試を知る
2つの実施時期と3種の試験種別
一橋大学大学院社会学研究科(以降は社会学研究科とします)のホームページを参照すると、2つの入試時期、3種の試験種別があることが分かります。
秋期には、一般選考、特別選抜、社会人特別選考の3つの試験種別があり、春期には一般選考のみとなります。特別選抜には大学時の成績による出願条件、社会人特別選考にも出願条件が設定されています。また、試験種別によって必要な準備が異なっています。以下に秋期に実施される3種の試験の内容をまとめます。
◯秋期一般選考
一次試験…主論文・副論文の計2つに解答する論文筆記試験(いわゆる筆記試験)、書類審査
二次試験…口述試験(計画書に関する質問のほか、外国語または史資料読解あり)
◯特別選抜(出願条件あり)
一次試験…研究計画書等の書類審査
二次試験…口述試験(計画書に関する質問のほか、外国語または史資料読解あり)
◯社会人特別選考(出願条件あり)
一次試験…研究計画書等の書類審査
二次試験…口述試験(計画書に関する質問のほか、外国語または史資料読解あり)
上記を見ていただくと分かるように、現役の学部生であれば可能な限り特別選抜で受験することをおすすめします。計画書=やりたい研究に関する知識を高めていくだけで合格が狙えます。一般選考の場合は当然のように過去問を数年分用意し、念密に準備をする必要があります。さらに特別選抜を受けるメリットは試験の内容だけではありません。以下で詳しく説明します。
23年度の秋期試験実施状況
上記の表を見ると分かる通り、総合社会科学専攻の夏期入試全体では2.1倍(合格者50人に対して志願者は105人)であるものの、入試種別を見ると次のことが分かります。
◯秋期試験実質倍率
一般選抜…7.5倍(志願者数45人に対して合格者数6人)
特別選抜…1.2倍(志願者数47人に対して合格者数39人)
つまり、特別選抜の受験者の殆どは落ちていないということです。特別選抜の実質倍率は約1倍です。また、合格者数を見ても秋期の殆どの合格者を特別選抜の受験者が占めています(約8割)。逆に言えば、秋期試験で一般選考をわざわざ受ける意味はありません。
特別選抜の出願要件
特別選抜について社会学研究科は次のように書いています。
これだけ見るとかなりハードルが高いようにも見えてきますが、入試要項に書かれている条件は以下の通りです(24年度の場合)。
(1)の条件は多く(ほとんど)の方がクリアできると思います。問題となるのは(2)の条件ではないでしょうか。現役生の場合は、出願が夏なので3年の後期までの3年間の累積GPAが3.00を超えている必要があります。累積GPAの計算方法は以下です。
これを見ている方が3年生であれば、これを満たせるよう履修の組み方は慎重に検討してください。また、1、2年生の場合にも絶対に単位を落とすことは避け、可能な限りB以上を取れるよう頑張ってください。逆に言えば、3.00以上を取れて言えばかなり院試の負担を軽減することができます。これは単に楽にできるということではなく、その分卒論や院での研究の準備に時間を費やすことができるということです。
言及していなかった(3)の語学試験のスコアも重要です。ただこれは院試と就活を並行して行う方はもちろん、最近では院試の語学試験の代わりにテストスコア提出を求める大学院も増えてきているのであまり驚きではないと思います。東大総合文化研究科出身の若い先生に聞いたところ、800点以上あれば少なくとも足切りには引っかからないとのことでした。ただし優秀な留学生(特に中国)は当然のように高い英語運用能力を持っているので今後どうなるかは分かりません。TOEFL ITPも可とのことなので大学で受けられる方はできるだけ受けておくと良いと思います。
まとめ
今回は院試の制度についてまとめました。秋期(夏休み期間中)に大学院合格を決めてしまいたい方、特に一橋大学大学院社会学研究科が第一志望の方は絶対に特別選抜で受験することをおすすめします。次回以降では自分のケースをベースに、GPA3後半〜4を維持する学生生活、研究を進めるために動いたことについてまとめていきます。
読んだ本|なぜデータ主義は失敗するのか?
『なぜデータ主義は失敗するのか?』は、北欧の戦略コンサルティングファームの創業パートナーによって書かれた本。
近年、小島武仁氏や中室牧子氏のような実社会のデータを用いる経済学者らによって、経済学的手法を用いた政策の立案や企業の制度改革などが進められている。いわゆる「エビデンス・ベースド(Evidence Based)」の動きは、政治や民間企業に留まらず様々な領域(*1)に広がっているが、本書はそうしたデータ主義に異を唱える一冊と言える。
筆者はデータに基づいた分析やインサイトの発見では、本質的な人間の原理を理解できず、間違っているからこそ、人文科学的思考が重要性だと主張する。データ主義の欠点とは何で、なぜ失敗すると言えるのか。そして、人文科学的思考とは何だろうか。
*1 相次ぐ大学データサイエンス系学部/学科の新設や、スポーツ領域でのデータチームの立ち上げなど。
本の情報
タイトル:なぜデータ主義は失敗するのか?
著者:クリスチャン・マスビェア/ミゲル・B・ラスムセン
出版社:早川書房
Amazonリンク:https://amzn.to/45Hw2qH
関連情報
著者のマスビェアとラスムセンは、デンマーク発のコンサルティング会社「ReDアソシエイツ」の創業パートナーを務める(執筆当時)。
ReDアソシエイツは、人文社会科学の知見を基にした戦略コンサルティングを得意とするファーム。ファームのメンバーにはMBA(経営管理学修士)よりも高い知的水準が求められ、何千冊もの本を読み、ハイデガーなどについても理解できるレベルでの知性が要求されるという(*2)。
*2 こちらを参照。
データ主義の欠点
データ主義が持つ欠点として「人間」に対する捉え方のズレが指摘されている。各種数値や統計情報などのデータでは人間のある特性を見逃していると主張する。
企業が不確実性の大きい社会の中で何かの決断を迫られている時、ついつい幾つかの条件を暗黙のうちに前提視してしまう。例えば、「人間は合理的な存在で、常に十分に情報を持っている」や「数字こそが真実である」といったものだ。筆者はこれらの前提に立った思考法を「デフォルト思考的問題解決法」と呼んでいる。目的合理主義の考え方に基づき、経営課題は客観的かつ科学的な分析によって解決できるという考え方が中核にある。
多くの企業で、大規模な量的モデルに基づいた定量分析が行われている。この量的な分析によって企業や事業の成長予測が数字として弾き出されたり、市場の今後の動向を掴もうとする。こトロント大学経営大学院のロジャー・マーティンは次のように量的分析への過度な信頼を批判する。「量的アプローチの最大の弱点は、事象を現実世界の状況から抜き出したり、モデルに含まれない変数の影響を無視したりすることによって、人間の行動をコンテクストから切り離してしまうことだ(p. 73)。」
ブランドのファンの数は数字で表すことができるが、量的な分析のフレームではそれらファンが実際にどのような体験を経た結果ファンであるのか、あるいはどのような体験に価値を感じているのかといった「人間の体験」を見えなくしてしまっている。
一方、この前提が常に存在しているわけではなく、むしろこれらの前提を元にしていては正しい判断がおおよそできそうにないことも感覚的には理解できると思う。実際に筆者も、企業がこの思考法を常に有効なモデルだと信じておらず、近年ではブレインストーミングやワークショップなど、感覚的な意見やアイデアが判断に介在する余地が生まれつつあることを指摘している。
データ主義が失敗する理由
データ主義の欠点は前節で紹介したが、この時点でデータ主義がなぜ失敗するのか?は明らかなように思われる。すなわち、過度な量的分析や計量的な判断基準のみによって行われる意思決定には、その数値の裏にある人間の質的な体験や行動があり、数値はそれらを反映していないという問題がある。この質的な情報を取り逃がすことによって、企業はコンサルティング会社に莫大な費用を払い、経営の立て直しや事業戦略の転換、事業推進スキームの見直しなどを行うことになる。
これだけを読むと、「うちはそんなことはない」と容易に反論できるように思われるが、質的な情報を正確に捉えることは、量的な分析を精密に行うのと同等か、それ以上に難しい。なぜなら、数値として表れたものの裏にある人間の体験を客観的な言葉で記述し、価値ある情報として示す必要があるからだ。多くの場合、これらは「あなたの感想ですよね?」の域を出ることはないのではないだろうか。
だからこそ、筆者は人間の体験を探求する学問体系として古代から脈々と受け継がれてきた、「人文科学」の必要性を説くのだ。
人文科学的思考とは何か
筆者は人文科学を、市井の人々すべてがもつような体験を独自の方法論と理論体系で認識し記述する学問領域と考える。例えば、何度も挙げている「人間の体験」を人文科学的に定義する場合、プラトンやハイデガーによる体験を関する理論体系を参照しながら、現象学を用いた体験の記述が可能だ。量的な分析、あるいはビジネス的な思考法に基づけば、「現在」揃っているデータを用いて記述するだろうが、人文科学的思考は古代から蓄積された「人間のナレッジデータベース」を参照して記述する。抽象度のかなり高い理論とエスノグラフィに代表される人文科学的な探求方法が接続され、人文「科学」的な結論の導出が可能となる。
これこそが人間の体験を記述することであり、データ主義が取りこぼしている重要なインサイトである。人文科学を単なる学者の「お気持ち表明」や「コメンテーターの学者版」のように考える人がいるなら、高等教育機関で人文科学を学ぶことを推奨する(「お気持ち表明学者」や「コメンテーター社会学者」がいないとは言っていない)。
まとめ
ここでは本に書かれた内容のエッセンスを自分なりの理解というフィルターを通してまとめたが、大きく外したことは言っていないと思う。本書で最も重要な点は、「データ主義は問題があるから人文科学的思考で全て代替しよう」ということだ。原題は”Using the Human Sciences to Solve Your Toughest Business Problems”であり、邦題ほど極端かつ扇動的なタイトルではない(早川書房に限らず出版社の邦題のセンスは酷い)。データ主義の利点はあり、KPIの設定はまさにデータ主義が成せる技であろうし、難易度の低い問題の多くは量的な分析で解決できるのではないだろうか。あくまでこの本の論点は「Toughest Problems」なのだ。
若干の釈明をしたが、その上で近年のデータ至上主義には問題がある。本書でも主張されているように、人間は数値を作るのではなく、個々人がそれぞれの世界で常にオリジナルな体験をしている。量的データはこれらのコンテクストを切り離し、断片的な状態を見えているように思わせているに過ぎない側面がある。例えば、個々の犯罪の質的な情報なしに犯罪率だけを見て犯罪件数を下げることはできないように。
しかし、「ビックデータ」や「データサイエンス」というファンシーな横文字に踊らされ、どんどんどデータ主義の傾向は日本全体の傾向としてあるように思う。そうした中にいるからこそ、本書が読まれる価値がある。日本人の統計リテラシーが高くなれば、池◯彰のトンデモグラフを黙って見過ごすこともなくなるだろうし、新聞社の調査が何を意味しているかも今以上に理解されるだろう。これは必要だと思う反面、今以上に私たちは他者への想像力を欠くことにならないだろうか。
あなたという人間がどんな人であるのかを偏差値やIQ、体重や信用スコアは教えてくれない。そのことに気づかせてくれる一冊ないだろうか。
【大学1〜2年生向け】社会学の厳選入門書5選
はじめに
ここでは、大学の教科書で用いられるレベルの社会学の教科書から新書、文庫までを読み漁った社会学徒が独断と偏見で、
・これから大学で社会学を勉強する高校生
・社会学の授業を受けてより関心を持った社会学以外を学ぶ大学生
・学び直しをしたい社会人
に向けて入門書を紹介します。
厳選入門書5選
1. 橋爪大三郎,大澤真幸『社会学講義』
現代日本を代表する社会学者、橋爪大三郎先生と大澤真幸先生らによって書かれた社会学の入門書です。この本は、社会学を総括する議論だけでなく、連字符社会学と呼ばれる、理論社会学や家族社会学などの〇〇社会学についても説明がされている点が面白いです。
社会学の成立以降、徐々に専門分化していき、現在ではかなりはっきりとした形で領域ごとに〇〇社会学として研究がされている中で、俯瞰して社会学総論、各領域社会学について知ることができる一冊です。
2. 大澤真幸『社会学史』
学部レベルの授業であれば教科書(或いは参考書)としても挙げられることのある一冊です。こちらも1と同様、大澤真幸先生によって書かれています。社会学は19世紀に確立されたとする考え方が中心ですが、実は、古代ギリシャにまで思想的には遡ることができ、そこから脈々と続けられてきた議論の上に社会学が立っていることを実感できます。また、時代ごとに出てくる社会学者が以前の社会学者とどのような繋がりを持っているのか、時代が社会学にどのように影響したのかが詳しく、丁寧に書かれており、単純に読み物としても面白い一冊です。
3. 古市憲寿『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』
テレビのコメンテーターでもお馴染みの古市憲寿氏による著作ですが、単著ではなく、大澤真幸先生や小熊英二先生、上野千鶴子先生など名だたる日本の社会学者に「社会学とは?」という問いを持って対談するという面白い内容です。それぞれの学者の専門や研究方法によって答えに違うという、「社会学の分からなさ」が引き出されています。
余談ですが、日本の社会学の中では彼のようなテレビに出てばかりで論文を発表しない社会学者を「コメンテーター社会学者」と揶揄する勢力と、社会学の啓発に役立っているとする声とがあり、定期的に学会誌等で批判がされることがあります。
4. 富永健一『社会学講義』
上記の3冊を読んだ上で読むと非常に面白い本ですが、若干のクセがあるので先に上を読むことをお勧めします。というのも、この本は客観性よりも著者である富永健一先生の研究の文脈による解釈によって社会学とは何かが語られています。富永社会学のエッセンスが詰まっていると言っても良いかもしれません。
副題にもあるように、「人と社会の学」として社会学を独自の視点で再解釈し、講義の形式で書かれています。社会学者それぞれに批判対象とする理論や概念などがあり、それが自身の社会学の立場を作り、理論や実証研究が展開されることを知ることができる一冊です。
5. マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
社会学をかじったことがある方なら絶対に聞いたことのある、社会学の古典中の古典です。ここで挙げるまでもなかったかもしれません。が、社会学徒でも読まない人は読まないのでぜひこの機会に読んで見て下さい。簡単に言えば、プロテスタンティズムの禁欲性が資本主義と相性が良かったが故に近代資本主義は成立したと主張する本です。他にも大事なことが色々でてきますが割愛します。
未だに日本の社会学の論文ではヴェーバーが引用されるくらい大きな影響力を持つ社会学者の代表作です。他にも岩波文庫からはこれよりも薄い本で幾つかヴェーバーの本が出ていますが、薄さと読みやすさは比例しません。ぜひこれに挑戦してください。
2019年を振り返りつつ、2020年にやりたいことを書く
2020年が始まり早2週間が経とうとしているが、改めて自分の2019年を振り返りつつ、今年の方向性を考えていきたい。
個人的2019年10大ニュースを元に振り返りながら今年の目標を設定する。
個人的2019年10大ニュース!
10位… 社会の授業のクラスファイナルのエッセイで100点を取る
9位… 大学入試に落ちまくる
8位… 改めてあんまり人が好きじゃないと気付く
7位… 3ヶ月連続でカタリ場の授業の企画運営に携わる
6位… 団体を立ち上げる
5位… 高校を卒業する
4位… 高校時代の恩師が亡くなる
3位… NPOでインターンを始める
2位… ベンチャーでインターンを始める
1位… 大学進学を決める
・10位:社会の授業のクラスファイナルのエッセイで100点を取る
これはタイトル通りなのだが、カナダの中でも僕の留学していたアルバータ州は国内でもトップクラスに成績基準が厳しい。その厳しさ故、お金に余裕のある留学生は最終学年だけ他の州へ行くほどだ。大学にアプライする際、アルバータ州の学生は加点されるとも言われる。そんな州の公立高校にいたわけだが、Social Studies(日本で言う政治経済+歴史の授業)が僕は好きだった。中でもB先生(仮名)という好きな先生がいた。留学直後のGrade 10の時代にSocial Studies 10-1(-以前は学年、-以降はレベルで、1をトップとして3まである。)を教えてくれたのがこのB先生である。B先生は評価が厳しいことでも有名で、この先生の授業を避ける学生は少なくない。そんなB先生は世界有数の名門大学、トロント大学を卒業し、大学院にも進んだ頭のキレる先生だ。そんな先生のクラスを最終学年のGrade 12で再び取ったのだが、有終の美を飾りたくて必死に食らいついた。セメスター前半は成績100%を維持していた。後半に80%まで下げてしまったが、それでも申し分ない成績であっただろう。そんなクラスの最後のエッセイで100点を取ったことは過去になく、未だに机に飾っているほど僕にとっては嬉しい出来事だった。
・9位… 大学入試に落ちまくる
これは1位の「大学進学を決める」で記述。
・8位… 改めてあんまり人が好きじゃないと気付く
そう、僕は人があまり好きじゃない。薄々気づいてはいた。中学校でも高校でも友達は決して多いタイプではなかった。というのも、社交辞令とか建前とか意地・見栄の張り合いが凄く嫌いだった。高校時代も自分を貫いた結果、留学先にいた日本人の友だちは最終的に0になった(諸説あり)。
カタリバにジョインして以降も顕著にそうした課題はあった。エモーショナルにコトを進める人、先輩だからと気負って僕をコントロールしようとする人、いろいろな人がいた。多くの問題は「対話」をしなかったことが原因であるが、人付き合いは基本的に得意ではない。どうも疲れてしまう。(楽しい時ももちろんある。)
とは言え、人は結局1人では生きていけないので協働する力が必要であると感じてはいる。チームビルディングだとか、コーポレーションとか、越えるべき課題を見つけることは出来た。2020年はこれらに対して挑戦し、失敗しながらも自分なりのスタイルが見つけられる年にしたい。
・7位… 3ヶ月連続でカタリ場の授業の企画運営に携わる
こちらはカタリ場でのお話。外部からカタリ場にジョインした初のインターンとして職員さんもおそらく対応に困ったであろう僕なのだが、恵まれたことに右も左も分からぬまま学校企画のチームに入れてもらい、8月は副リーダー的なポジションとして、9・10月はPMとして企画運営に携わることが出来た。高専、定時制高校、カトリック系私立高校といずれも特色のある学校であったが、これらの企画作りを通して身についたことも多くあった。特に自分がPMとして企画運営を行った時に仲間の重要さを思い知った。9・10月と企画チームには責任者を務める上長であり職員さんと僕の2人だけと、実質1人で企画作りをしていたわけなのだが、とは言っても自分ひとりだけで完結していることなどそう多くはない。色々な人の協力や支えの元で成り立っていることだと痛感した。結果的に現場当日に涙するのだが、ここで僕は真人間になるためのドアを1つ開けた気がする。
・6位… 団体を立ち上げる
インプットの機会はわりと多くあったので、自分でアウトプットの場を作りたいとお思い。学生団体という形で団体を立ち上げた。1度イベントの開催にも漕ぎ着けたのだが、それ以降は団体のより詳しい部分や具体的な方向性などをめちゃめちゃ迷い始めて半ば冬眠中。2020年は団体名・理念・活動を刷新して成人したタイミングで法人化(恐らくNPOまたはLLC)を目指したい。
・5位… 高校を卒業する
はい。すでに遥か前の記憶で忘れ始めているが、僕は2019年の6月に高校を卒業した。日本の高校に入学した時はまさかカナダで高校卒業するなんて思いもしなかったが人生とは何が起きるかわからないもので、国外で高校を卒業した。
・4位… 高校時代の恩師が亡くなる
年末にショッキングなニュースだった。日本の高校時代の担任の先生で、僕が留学するきっかけを作ってくれた先生だった。高1の4月の面談時点で上野は海外に行った方がいいと言われ、漠然と海外を意識し始めた。不登校になってからも親身に支えてくれて、中退を決めた僕に学校説明会でプレゼンの機会までくれた。卒業してカタリバにジョインして。報告したいこと、感謝したいことが山のようにあったが、僕が初めてカタリ場でPMとなった9月に先生は自ら命を絶ってしまった。
凄く悔しかったし、今まで何のために頑張っていたのか本当に分からなくなった。学校とも関わる機会があったが、先生という存在に会ったり、話したりすることがストレスに感じていた。
ただいつまでもしょげてはいられない。僕には前を向く必要があると思い、2月から知り合いの紹介でTeacher Aidの勉強会に参加させてもらうことになった。恐らく団体での活動も関係してくると思う。
・3位… NPOでインターンを始める
ギャップイヤーを取る理由となった出来事。高校卒業して夏休みを挟んだ9月に大学生になることが漠然と不安だったのと、それがよく分からなかった僕はギャップイヤーを取ろうと決めたものの、何をすればよいか分からず、縁もありカタリバでインターンをさせてもらうことになった。
エントリーした時に持っていたwillを100%実現できているわけではないが、これからも持っているミッションに真摯に向き合って必要不可欠な存在に成長したい。
・2位… ベンチャーでインターンを始める
カタリバの縁でOBの務めるベンチャーでインターンとして働かせてもらっている。仕事内容は決して楽ではないが、数字とのシビアな戦いをしなければならない、NPOではなかなか味わえない経験を積ませてもらっている。昨年は大きな貢献をすることが出来なかったので、今年はしてもらっている側から、会社に貢献できる存在になりたい。
・1位… 大学進学を決める
ついに1位。そもそも大学進学を迷っていたこともギャップイヤーを取ることを決めた理由の1つなのだが、色々考えた結果、国内の複数の大学を受験した。9位で大学に落ちまくると話したのでそこにも触れていきたい。
以下が受けた大学
筑波大学(地球規模課題学位プログラム/社会・国際学群)
地球規模課題学位プログラム入試・帰国生徒特別入試
慶應義塾大学(総合政策学部)
AO入試・海外帰国生入試
立教大学(社会学部社会学科)
自由選抜入試
東洋大学(社会学部社会学科)
海外帰国生入試
さあ、どの大学に落ちなかったでしょうと言いたいところだが、1校しかないので単刀直入に言うと、東洋大学社会学部のみ受かった。
いやー大誤算。日本の受験を舐めていたのが正直な感想。もっと真面目に書類を書くべきだった。でも実際、通ったこともない大学で何がしたいあれが好きだとかまあ難しいなと。冷静に考えればバカなことをした。というのも、入試の前日にカタリ場の現場に行ったり、入試直後に旅行行ったり、明らかに受験生とは思えない生活を送っていた。当然のように受験していたこと自体言うと驚かれる。
ということで、今年の4月からついに大学生という肩書をもらうのだが、まさかそれが僻地みたいな場所にある筑波ではなく家から自転車で10分かかるかかからないかのところにある東洋大学になるとは思っていなかったが、小学3年くらいのときに箱根駅伝で優勝した東洋大を見て東洋大学に入りたいと言ったことを考えるとある意味で有言実行というか、夢は叶ったのかもしれない。
とは言え、決まってしまったことをどう喚いても現実は変わらないので、与えられた環境で真面目に頑張ろうと思う。そもそも、私大に当たり前のように通わせてもらえること自体、感謝しなければいけない。
2019年の漢字は個人的には「落」がふさわしいだろう。3大学で5個の入試に落ちる、オリンピックのボランティアに落ちる、体力が落ちる、睡眠の質が落ちる、PCの性能が落ちる→買い換える、何かと色々大切なものを落としたようだ。と思ったが、よく考えてみると僕は高校受験でも第一志望の都立に推薦・一般ともに落ちた。もしかしたら、もはや僕にとって落という漢字は友達になるべき存在なのかもしれない。しかし、幸いにも高校時代単位を落とすことはなかったので単位と落という漢字は親和性がないようだ。
2020年は、「何かを落とす」年から「何かを勝ち取る」年にしたい。昨年も十二分に自信だけはあった(それのせいで入試関係でしくじった)ので、その自信はどうにかこうにか持ちつつ、今年はしたたかさも加えたい。結局、書類審査に勝ち残るのは良くも悪くもセルフプロデュースが上手い人種で、そういった人々は幸い周りにたくさんいるので盗みながらしたたかさを身に着けてそろそろ総合的な運を上向きにさせていきたい。
ということで、2019年にあったことは大体思い出したので、今年の目標を書く。
習慣系
・月に最低3冊本を読む
・月に最低1本映画を映画館で観る
・週に1回振り返りをする
理想系
・ベンチャーで成果を出す
・カタリ場のイノベーターになる
・団体での活動を本格化させる→法人化を狙う
生活系
・大学生を頑張る(入学以降具体化させたい)
・平日は朝活をする→朝に読書したい
時とともに変わったり増えたり減ったりするだろうが、一旦はこれで宣言したい。
と、自分以外誰が読むんだと思うようなコトをつらつらと4000字も書いてしまったが、案外書こうと思えばすぐに書けてしまったのでどうか許してほしい。と、ここまで読んでくださる方がいるのか分からないが申し訳程度に書いてみる。
2020年も上野裕太郎をよろしくお願いします。
理解者でなかった父親と理解されたかった息子
10月中旬、都内の私立高校を訪れた。
その学校は関わりがある他の学校と比べて、比較的高等教育機関への進学率が高い、相対的進学校とも言える学校だった。
そんな高校で僕は自分の人生や経験から高校生へメッセージを届けるサンプリング(先輩の話)をした。
その話とは、自由な小学校で育まれた、自分のやりたいことを突き詰めてそれが評価されるスタンスというを中学校でも体現したら周りと違和感を感じ、辛くなるもあるドラマのキャラクターに影響され己を強く持ち高校へ進学するもやっぱり周りとは合わず、不登校になるが、カナダへ留学したのをきっかけに自分に自信がついて今は楽しくやってるという話で、最後に「本当の自分」について高校生にメッセージを届けている。
そんな話をした後、一人の生徒さんが僕の元へ来てくれた。そして、彼はこう言った。
「僕もつまらない学校を辞めたい。辞めるとき父親は納得してくれたんですか?」
僕は何とも言えない気分になった。
まさに僕も彼と同じ状況であったから。
話は中学2年の夏休み明けに戻る。
「リッチマン、プアウーマン」に影響されて日向徹(小栗旬の演じた、起業してIT社長を務める天才プログラマーの役)になりたいと思っていた。ベンチャーとかスタートアップとかを調べ始め、フォーブスとかも毎月読み漁ってた時期。僕は国産のOSを開発していつかはGoogleを買収したいと思ってた。僕はあまり両親に隠し事とかをするタイプでなかったから、もちろん両親にもそんな話をした。母親はこういう分野にあまり詳しくなかったこともあって「へー」と聞いてくれていたが、父親はそうではなかった。
というのも、僕の父親は僕とは正反対にすごく保守的な性格で、新しいものに対しての拒否反応が凄いからだ。スマホに変えるのも、LINEを使うのにも時間を要したくらいだ。そんな父親は僕の話を聞かないばかりか、「ビルゲイツになんてなれるわけない」だとか「IT企業なんか悪だ」と、ある意味でGAFAの問題に対して先見の明があったようにも聞こえるが、そんな父親だったが故に父親には全く理解されなかった。父親は国立大学に入って、大手企業に入社して安定した生活をして欲しいと言っていた。僕は父親は一生理解者ではいてくれないと思っていたし、分かり合えるとは全く思っていなかった。毎朝、毎晩のように喧嘩していた。本当に父親が嫌いだった。頭が固くて、古臭くて。こういう大人が日本をダメにしていると本気で思ったし、正直、さっさと死ねと思っていた。でも、父親がいなければ僕は明日にでも死んでしまう。そんな葛藤があった。
高校受験の時も父親は大学受験を見据えて「良い高校」に入ることを望んでいた。当初、僕は高専を志望していたが、それにも否定的だった。結局、第二志望だった私立高校に進むが、そこでも「大学こそは」と言っていた。
高校に進み、高1の夏休みが明け、僕は少しずつ不登校気味になっていった。かろうじて学校に行っても、幻聴や幻覚、頭痛、腹痛にうなされていた。そんな僕を見てもなお父親は高校に行けと聞かなかった。まあ当然だろうとは思う。大金を叩いて塾に行かせ、受験させたのに第一志望でもない私立高校に進んだ挙句、不登校になっていったのだから。コスパの悪さは異常でない。
その頃には喧嘩は少なくなっていたが、それでも週に1回くらいは喧嘩をしていた。体調が悪くなってからは、僕を庇うように母親さえも父親と言い合いをするくらいに家庭は荒れた。
本当に申し訳ない気持ちになっていた。そもそも父親の期待に応えられなかった悔しさ、申し訳なさもあったし、ただでさえ息子が苦しんでるのを目の当たりにして苦しいであろう母親が庇って父親と口論になる。僕にとってそれは地獄絵図以外のなにものでもなかった。
しかし、そんな父親と息子の関係に転機が訪れる。母親が父親と僕の二人を千葉の古民家に1泊2日の旅行をセットした。他愛もない会話をしたり、僕の体調や今後、今やりたいこと、父親が思っていること、腹を割って全てを話せた。
正直、父親にどんな心境の変化があったのかは定かではない。しかし、前にも後にも、あそこまで深く、長く自己開示をしたことはない。そしてその相手が父親であったことは大きく影響していると思う。確かにあの時の二人は、互いを尊重していた。
それ以降、父親はいろいろなことに寛容になった。結果、中退を許してくれるばかりか、カナダ留学も応援してくれた。
気づけば敵のようにも感じていた父親が最大の理解者で支援者に変わっていた。今では父親にはやりたいこと、やってること、色んなことを話している。以前として超保守的な父親は理解してくれないことも少なからずあるが、それでも僕にとってはかけがえのない唯一無二の父親だ。
そんなエピソードを持つ僕は、話してくれた生徒さんにとにかく、話をすることという話をした。もちろん、時間はかかるし、苦しむことになる。でも、僕はそれが日本においてネガティブなイメージを持つ「中退」を決断するためには避けられない道だと思う。これは仕方ないことだとも思わない。実際、社会に出れば、中退者への風当たりは決して弱くない。むしろ強いと言える。そんな荒波の中で溺れ死なないためにも一番そばにいてくれる両親ないし父親の理解を得ることは決して難しいことではないと思うし、理解されればこれ以上強いものなんてないと思っている。
もし1年後、彼に会うことができたなら、そもそも彼が無事に高校を辞めていれば会うことはもう2度とないが、もし機会があれば、彼のその後を話して欲しいと思ってる。彼はきっと強い人だ。簡単に折れるような人ではないと思う。残るも辞めるも彼次第。それでも、どこかで強く生きていることを想像して明日も頑張りたいと思える。僕は彼を心から尊敬した。一人の人間として。
プロフェッショナルとは何か
最近、感情を意図的に出すようになった。
前から思っていることをあえて口にするようにした。
そうすると周りの受け取り方も変わって、「なんだ、そういうとこもあるんじゃん」みたいな反応をされる。
それこそが僕の違和感だ。
僕は、クライアント側の視点を絶対に忘れたくないし、
それを忘れてしまいそうになることが怖い。
もちろん、提供する側の人材がどんなモチベーションで、熱意を持ってくるかは重要なポイントであるが、そこに重きをかけすぎてしまうことは如何なのだろうか。
ボランティアという性質を持っているのに、どうして自ら協力しよう、関わろうと思えるマインドが作りきれていないのだろうか。
どうしてボランティア企画の運営側がすでに登録されているボランティアプールに対して積極的な働きかけ(ex. 想いを語る、直接会う、電話するetc)をしなければいけないのだろうか。
現状、そうしないとボランティアプールから人が集まってこないという問題はある。
これを看過して本当に良いのだろうか。
僕はプロフェッショナルでありたい。
与えられた仕事、持っている仕事には責任感を持ってやりたい。
それは有給無給関係ない。
その機会を得た以上、それを全うすることは責務であると思う。
僕の違和感の正体は、いわゆる「学生気分」が蔓延しすぎているからだと思う。
どうして文化祭のノリに近いものがあるのだろうか。
僕らはもっと大きなミッション、ビジョンを持っているはずだ。
それが前提なはずがそうでない現状がすごく窮屈だ。
そうして僕は孤独になる。
決して可哀想だなんて思われる覚えはない。
そもそも、可哀想だなんて言われる筋合いもない。
僕は孤独になってしまう生き方であって、それに屈して同調するつもりもない。
僕はこの違和感を忘れない。
きっと、これを忘れてしまったらこの僕はどこかへいなくなってしまうと思う。
僕はこの違和感を抱けるから僕なのであってそれを殺してしまえばそれは僕ではない。
違和感こそが僕だからだ。
だからこそ孤立する。
まさにリアルな「不協和音」の世界だ。
僕はYesと言わない。首を縦に振らない。周りの誰もが頷いたとしても。
ただ、発信する場は考える余地がある。
だから僕は、Facebook、ブログ、note、自分のテリトリーで発信する。
聞きたい人は聞けばいいし、耳を塞ぎたい人は塞げばいい。
それでも、多様な人々をまとめ上げる能力も必要だ。
その努力は諦めない。
改めて大学に行く必要があるのかを考える
今日の朝はミーティングの電話で起きた。
と言うのも、7時からオンラインミーティングの予定だったが、8時に目覚めてしまった。
そんなこんなでミーティングが終わり、Facebookを開くと、1人の友人がこんなポストをしていた。
「大学に行く行かないで悩んでる」
個人的にはすごくテンションが上がった。
同じ悩みを自分が同じ頃持ち始めただけに、凄く共感した。
だからこそ、一緒に悩みたいと思った。
自分も答えは見えていないからだ。
でも、彼にも明確にやりたいことはあった。
そのために大学にわざわざ行くのは遠回りだと感じたようだ。
先日、教育支援系団体の偉い方とお話しする機会があった。
上のような話をすると、
「大学には行った方がいい。行って授業以外の時間にやりたいことをすればいい。」
一見すると、至極真っ当だが、僕は同意できなかった。
どうして意味を見いだせていない場所に時間を割いてやりたいことを制限するのかと。
きっと彼には僕が今ギャップイヤーをとってNPOやベンチャーでインターンしたり、自分で団体を立ち上げていることは聞こえていなかったようだ。
この議論は結局、そこにバリューを見出せるかそうでないかの違いだ。
それができれば行けばいいし、できないなら取り敢えずは行かず、必要性を感じたら行けばいい。
もっとも、個人でなく組織に学歴が必要なら、それを持つ人を引き込めばいい。
多様な進路選択ができるべきで、それは尊重されるべきであると思う。
そういう基本的な思想を持ち合わせていない寂しい大人がどうやら世の中にはまだまだ多いようだ。
自分たちで若者を息苦しくして、「やれ、最近の若者は」と言う。
僕からしてみれば、学生運動に勤しんだ「若者」の方が理解できないよ。
「勉強しろ」と言う彼らは果たして大学で「勉強」していたのだろうか…