いつかの思考のための箱

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理解者でなかった父親と理解されたかった息子

10月中旬、都内の私立高校を訪れた。

 

その学校は関わりがある他の学校と比べて、比較的高等教育機関への進学率が高い、相対的進学校とも言える学校だった。

 

そんな高校で僕は自分の人生や経験から高校生へメッセージを届けるサンプリング(先輩の話)をした。

 

その話とは、自由な小学校で育まれた、自分のやりたいことを突き詰めてそれが評価されるスタンスというを中学校でも体現したら周りと違和感を感じ、辛くなるもあるドラマのキャラクターに影響され己を強く持ち高校へ進学するもやっぱり周りとは合わず、不登校になるが、カナダへ留学したのをきっかけに自分に自信がついて今は楽しくやってるという話で、最後に「本当の自分」について高校生にメッセージを届けている。

 

そんな話をした後、一人の生徒さんが僕の元へ来てくれた。そして、彼はこう言った。

「僕もつまらない学校を辞めたい。辞めるとき父親は納得してくれたんですか?」

 

僕は何とも言えない気分になった。

 

まさに僕も彼と同じ状況であったから。

 

話は中学2年の夏休み明けに戻る。

 

 「リッチマン、プアウーマン」に影響されて日向徹(小栗旬の演じた、起業してIT社長を務める天才プログラマーの役)になりたいと思っていた。ベンチャーとかスタートアップとかを調べ始め、フォーブスとかも毎月読み漁ってた時期。僕は国産のOSを開発していつかはGoogleを買収したいと思ってた。僕はあまり両親に隠し事とかをするタイプでなかったから、もちろん両親にもそんな話をした。母親はこういう分野にあまり詳しくなかったこともあって「へー」と聞いてくれていたが、父親はそうではなかった。

 というのも、僕の父親は僕とは正反対にすごく保守的な性格で、新しいものに対しての拒否反応が凄いからだ。スマホに変えるのも、LINEを使うのにも時間を要したくらいだ。そんな父親は僕の話を聞かないばかりか、「ビルゲイツになんてなれるわけない」だとか「IT企業なんか悪だ」と、ある意味でGAFAの問題に対して先見の明があったようにも聞こえるが、そんな父親だったが故に父親には全く理解されなかった。父親は国立大学に入って、大手企業に入社して安定した生活をして欲しいと言っていた。僕は父親は一生理解者ではいてくれないと思っていたし、分かり合えるとは全く思っていなかった。毎朝、毎晩のように喧嘩していた。本当に父親が嫌いだった。頭が固くて、古臭くて。こういう大人が日本をダメにしていると本気で思ったし、正直、さっさと死ねと思っていた。でも、父親がいなければ僕は明日にでも死んでしまう。そんな葛藤があった。

 

 高校受験の時も父親は大学受験を見据えて「良い高校」に入ることを望んでいた。当初、僕は高専を志望していたが、それにも否定的だった。結局、第二志望だった私立高校に進むが、そこでも「大学こそは」と言っていた。

 

 高校に進み、高1の夏休みが明け、僕は少しずつ不登校気味になっていった。かろうじて学校に行っても、幻聴や幻覚、頭痛、腹痛にうなされていた。そんな僕を見てもなお父親は高校に行けと聞かなかった。まあ当然だろうとは思う。大金を叩いて塾に行かせ、受験させたのに第一志望でもない私立高校に進んだ挙句、不登校になっていったのだから。コスパの悪さは異常でない。

 

 その頃には喧嘩は少なくなっていたが、それでも週に1回くらいは喧嘩をしていた。体調が悪くなってからは、僕を庇うように母親さえも父親と言い合いをするくらいに家庭は荒れた。

 本当に申し訳ない気持ちになっていた。そもそも父親の期待に応えられなかった悔しさ、申し訳なさもあったし、ただでさえ息子が苦しんでるのを目の当たりにして苦しいであろう母親が庇って父親と口論になる。僕にとってそれは地獄絵図以外のなにものでもなかった。

 

 しかし、そんな父親と息子の関係に転機が訪れる。母親が父親と僕の二人を千葉の古民家に1泊2日の旅行をセットした。他愛もない会話をしたり、僕の体調や今後、今やりたいこと、父親が思っていること、腹を割って全てを話せた。

 正直、父親にどんな心境の変化があったのかは定かではない。しかし、前にも後にも、あそこまで深く、長く自己開示をしたことはない。そしてその相手が父親であったことは大きく影響していると思う。確かにあの時の二人は、互いを尊重していた。

 

 それ以降、父親はいろいろなことに寛容になった。結果、中退を許してくれるばかりか、カナダ留学も応援してくれた。

 気づけば敵のようにも感じていた父親が最大の理解者で支援者に変わっていた。今では父親にはやりたいこと、やってること、色んなことを話している。以前として超保守的な父親は理解してくれないことも少なからずあるが、それでも僕にとってはかけがえのない唯一無二の父親だ。

 

 そんなエピソードを持つ僕は、話してくれた生徒さんにとにかく、話をすることという話をした。もちろん、時間はかかるし、苦しむことになる。でも、僕はそれが日本においてネガティブなイメージを持つ「中退」を決断するためには避けられない道だと思う。これは仕方ないことだとも思わない。実際、社会に出れば、中退者への風当たりは決して弱くない。むしろ強いと言える。そんな荒波の中で溺れ死なないためにも一番そばにいてくれる両親ないし父親の理解を得ることは決して難しいことではないと思うし、理解されればこれ以上強いものなんてないと思っている。

 もし1年後、彼に会うことができたなら、そもそも彼が無事に高校を辞めていれば会うことはもう2度とないが、もし機会があれば、彼のその後を話して欲しいと思ってる。彼はきっと強い人だ。簡単に折れるような人ではないと思う。残るも辞めるも彼次第。それでも、どこかで強く生きていることを想像して明日も頑張りたいと思える。僕は彼を心から尊敬した。一人の人間として。