いつかの思考のための箱

Choose what you love and stick with it.

6年前と変わらない中学校

中学生と話す機会があった。

 

夏休み明けすぐの中学2年生。

 

フレッシュなエネルギーを感じた。

 

それとともに、僕は衝撃を覚えた。

 

6年前、僕が中学生だった時の周りの友達と

今日、会った中学生が同じ言葉を口にしていたからだ。

 

「塾の勉強が忙しいんで」

 

僕は何度、あの言葉に殴られただろう。

中学2年の時だった。

僕は何かやりたくてたまらなかった。

何個も何個も起業のアイデアを書き溜めては、

友人に見せて一緒にやろうと語った

でも、誰も彼も口にしたのがあの言葉だった。

 

そして、あの言葉は僕を孤独にした。

 

だからこそ、僕がビーラボ(b-lab)文京区青少年プラザに出会えた時の衝撃は今でも覚えている。

だから僕は今カタリバという団体に関わっているし、中高生の芽が踏まれるようなシーンは少なくとも目の前で見たくない。目の前では起こさせない。

 

そして、今日僕はその当時の僕を結果的に思い出した。

 

数年ぶりにあの言葉を聞いた。

 

6年経っても僕はあの言葉を発する側にはいない。

そういう意味ではそちら側の人々がどうしてそう言うのか分からない。

 

分かってるけど。

 

 

6年間。世界は大きく変わったであろう。

 

今は小学生のおままごとにAIとかドローンとかそういう用語が出てくる時代だ。

今はスマホ1つでモノが買えて電車にも乗れる時代だ。

YouTuberが仕事として認知されるようになった時代だ。

 

それなのにもまだ、

彼らは言う、

 

「塾の勉強が忙しいんで」

 

僕は本当に悔しい。

 

もちろん、世の中には変わるべきこととそうでないことがある。

 

果たして、6年前の中学生と今の中学生が全く同じ言葉を同じ状況で発する事は正常な事なのだろうか。

正しいと言えるのだろうか。

 

そして、「〇〇大学」という看板に耳を立てる。

 

今も6年前も図式は変わらない。

 

 

だから僕は変えたい。

 

 

それは決して彼らをどうにかしたいわけではない。

 

環境が変わった上での発言なら僕は尊重したい。

 

でもまだ、スペースはあるはずだ。

 

もう少し、頑張れるところはあるはずだ。

 

夏休みの思い出が夏期講習は誰が望んでいるのだろう。

 

彼らの思い出は夏期講習だけでいいのだろうか。

 

それは、僕だから持つ疑問なのかもしれない。

 

中学で保健室登校、高校で不登校からの中退。そして留学しギャップイヤー。

 

そうだ、僕はもう日本の線路の上を走っちゃいない

 

とっくにそんなの諦めてる

 

向こうだって乗せたくないだろう

 

でもそんな奴がいるから、社会は面白いんじゃないかな

 

そんな奴をバカやってんなーって言える環境が面白いんじゃないかな

 

僕は彼らに羨ましがられたいわけじゃない

 

ただ、彼らに伝えたい

 

今やってることに納得してるのか。

 

やらなきゃいけないことはあるかもしれない

 

でもやらなきゃいけないことが本当にやらなきゃいけないことなのか

 

もしかしたら思い込んでるだけかもしれない

 

そして、多様なロールモデルを見せよう。

 

それが10代、20代、30代にできることだと思う。

 

まだ凝り固まってる場合じゃない。

 

 

もっと自由でいいはずだ。

 

 

僕はそう信じていたい。

 

 

そしてここまで読んでくれた誰かにも、

そう信じてくれる人がいると信じてる。

 

 

今がスタートする時だと思う。

 

僕は目の前のことから少しずつ、一歩ずつ、確実に、でもたまにはジャンプして、

僕を育ててくれたこの国に、社会に、学校に、家族に、b-labに

 

見せていきたい。