理想の大学って何?
大学に行く意味とは?
この問いに自分の言葉で多くを語れる大学生が日本にどれくれらいいるのだろうか。
これは決して批判ではない。
ただただ、自分がカナダで感じた学生像と日本の学生像に開きがあるように感じる。
本質的な大学という概念の解釈が違うような気がしないでもない。
カナダにももちろん「名門大学」と呼ばれるような大学は複数あるけど、
日本の「東大ピラミッド」ほど1つの大学に富と名声が集中しているわけではない。
東部ならトロント大、マギル大とか、西部ならUBC(ブリティッシュコロンビア大学)とかビクトリア大学なり、偏差値的な統一指標がないが故に各大学がそれぞれのフィールドで戦いやすいのかもしれない。
もっと言えば、「コンピュータサイエンスと言えばウォータールー大」みたいに専門分野によって強みを持っているのも特徴かもしれない。
だから専攻が変わった学生は結構な確率で大学ごと変える。
一方の日本では、基本的に4年間を同じ大学で過ごす。もちろん、学業に専念する学生もいるだろうが、遊んでる学生が多いのも事実ではないだろうか。
そしてそういう学生に限って遊んでることを言いたがる。
ここで話を冒頭の問いに戻す。
大学に行く意味とはきっと、高校で満足できなかった学びへの意欲を爆発できる場所なのではないだろうか。
僕は性格的な「多動」なので、1つの専攻だけをずーっとやることはきっと難しい。だからこそ流動性のあるデパートメントで学びたい。
もっと言えば、専攻が変わったら大学ごと変えるくらいのフッ軽でいたい。
じゃあカナダに帰れと言われるだろうが、これが難しい。
実際、カナダで学ぶことは日本で学ぶことより様々な意味で「利」はあるかもしれない。
ただ、留学生には諸々の制約も多い。
労働時間とか、経済活動とか。
インターンもやって組織運営などなども並行してやっていきたい僕にとっては不都合が多い。
日本で学ぶメリットは逆にいうと上記が自由にできることではないだろうか。
まだまだ考えごたえがある、進路選択。
失敗を極度に恐れては何もできないが、ある程度のお金が絡んでいる以上、責任ある選択をすることは当然。
そもそも、大学に行かせてもらえる環境があることに感謝。与えられることを決して当たり前だと思ってはいけない。
そう考えると悩みのループがまたひと周り大きくなった気がしてしまうのはなぜだろう。