いつかの思考のための箱

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先輩という言葉の罠

「先輩」という言葉は広く日本社会で「後輩」という言葉とセットで用いられることが多い。中でも、学校や会社などある程度閉ざされたコミュニティの中では多く使われる言葉だ。

 この言葉は使った瞬間にその2人の関係に主従的な意味合いを持たせてしまう。いつからそうなったのかは知らないが、先輩と呼ばれる人とそう呼んでいる人には上下関係がある。そして多くの場合、先輩は年長者だ。

 

 そして僕は、この言葉を上下関係のない新しい枠組みでの関係を作ろうとしている団体で使うことに拒否反応がある。

 高校生と大学生の対話を行う際に、大学生ボランティアを「先輩」と呼ぶこと、ボランティアコミュニティの中で、長く属しているボランティアのことを「先輩ボランティア」と呼ぶことには特に違和感がある。

 

 それは、日本社会の中において、「先輩」という言葉には文化的、伝統的な意味が加えられるからだ。先輩という言葉には、文化的に尊敬の対象であり、言葉でもそれを示すことが求められやすい。特に、初対面などの状況で、「先輩ボランティア」などという言葉を使うことは自ら相手との距離を離す行為ではないのだろうか。

 そして、上下関係のないコミュニティにおいて先輩という言葉を使うことは上下関係の発生に直結するからだ。

 

 ただ、日本人は日本人を「先輩」と呼ぶことをやめられない。それをやめられない人ほど、この「先輩文化」にどっぷり使っていた人なのではないだろうか。決して能力がなくとも、決して才能がなくとも、年齢といういきていれば1年に1回自動的に加算されるポイントが高くなるだけで、言わば尊敬される対象となることができてしまう。それはそのポイントが高くなるほど形式的に尊敬する人は増える。

 

 何気なく、「先輩」という言葉を使ってしまうが、この言葉には関係性を明確にしてしまい、双方の間の距離を広げ、円滑な組織作りの阻害となる可能性がある。

 

 先輩や後輩などという言葉の代わりに、下の名前を素敵に呼ぶ文化を輸入することはそこまで難しいことなのか...