いつかの思考のための箱

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センター試験は必要か?

毎年1月になると、街中に「受験生応援!」の文字が溢れる。

 

マフラーにマスク姿の学生は下を向いて参考書とにらめっこしている。

 

すっかり日が暮れた夜の高校の校舎は、3年生の教室にだけ明かりが灯っている。

 

空気を除菌するための塩素がかすかに匂う予備校には志高い受験生が朝から晩まで鉛筆を握り、何かをつかもうと必死に努力をしている。

 

これは日本のある種の伝統的な風景ではないだろうか。

 

1970年代の共通一次試験から今日のセンター試験まで、日本の大多数の高校生と高校生だった人がこれを経験している。

近年ではAO試験や自己推薦などの推薦入学制度の普及によりその母数自体は減っているであろうが、それでもなお多くの受験生がこの壁を登っている。

 

そんな彼らは評価されるべきで、決して当たり前ではないと思う。

しかし、高校3年間で養われたもの、身につけたものをたった一回の試験で判定してしまうのは酷にもほどがあるのではないだろうか。今後、「大学共通テスト」などと呼ばれるセンター試験に代替される試験が実施されるが、何れにしても壁が特別低くなるわけでも、薄くなるわけでもない。

 

東アジアの大学入試 = 統一試験の利用

 

この共通テストのようなものを大学志願者に課しているのは東アジアの特徴的な教育システムなのではないだろうか。中国における「全国普通高等学校招生入学考試」や韓国における「大学修学能力試験」など同じような統一試験が実施されている。

 

しかし、僕はこれに異議を唱えたい。

 「グローバル化」と騒がれる昨今、多様化が求められ始めている。騒がれている以上にグローバル化は進んでおり、老人の誇る「東芝」や「SONY」は昔ほどの世界的な人気はない。大学に変革が求められるのも特別に不思議な話ではない。「2018年問題」に代表される大学の定員割れや留学生の増加、英語人材の需要など、今までのことを今まで通りにやっていてはいけない時代になりつつある。

 そんな中、今こそ高等教育で大きな実績を持つカナダの制度を参考にしてもいいのではないかと思う。これら北米地域の大きな特徴は「連邦制」である。この制度は日本で言われる「道州制」のベースとなる制度で、各州政府が教育に関する権限を持つ。また、多くの連邦制の国に国立大学が存在しないことも特徴である

 連邦制の国では各州により教育カリキュラムが異なるため、入学のプロセスにも若干違いが出てくる。逆に言うと、各州により教育制度が違うために統一試験を行うことができない(公平性などから)という事実がある。そのために多くの大学は学校の成績を元に合否を判定する。

 しかし、ここでも州や学校により教育内容や水準に違いが出てくるために一概に統一された基準で判定する事ができない。そのためにアメリカでは「SAT」と呼ばれる統一試験に似た制度が設けられている。これを一つの合否判定の要素として用いている。

 では、カナダの場合はどうであろうか。カナダでは大学が各州ごとに基準を設けられている。学校の成績をベースにエッセイや場合によってはインタビューで合否決定がされる。つまり、学生の3年間の努力が直接大学進学へ影響する。

 個性を尊重する文化が強いというのも事実としてはあるが、それにしても学生目線で制度設計がなされていると思う。もちろん、州により難易度に違いはあるが、それでも高校での努力が反映されるこの制度は評価に値するのではないだろうか。

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現代ビジネスオンライン「目前に迫る2018年問題 ついに文科省が「私大の闇」に斬り込む!?」伊藤 博敏 2016年5月26日 より抜粋


 

 もちろん、大学に言わせれば多くの志願者を短期間で合否判定をするには統一試験などの統一基準によって判断する方法の方が費用や期間などの面でメリットが多い。しかし、今後受験者数が減少し、私立大学を中心に淘汰される状況が想定される中でも、この統一試験方式を継続するメリットは大きいのだろうか。

 現実的な策として、従来の年末から年始に出願し3月前後までに最終人数が確定する方式を変更できるのではないだろうか。実際にカナダでは半年近くもの期間が出願期間として設けられている。この期間内であれば、自分のタイミングで出願し、早くて数週間で合否が判定される。このように、2学年までの成績や3学年1学期までの成績で判定するようにすれば不可能ではない。

 しかし、高校の段階では学期末まで生徒は自分の成績を知る由がない。カナダではオンライン上に全ての自分のクラスの成績にアクセスできるようになっている。公明正大であり、自分の立ち位置を自分で把握できる事ができる。このように生徒が自立して自らの将来設計を行えるようにする必要がある。

 

 以上のことを検討すると大きな問題として

・大学入試制度の抜本的な改革の必要性

・それに伴う高校の成績制度の変革

の2つが挙げられる。

 

 これらの二つを変えることは相当に大きな影響を及ぼすことであり、政治だけでなく、こうした問題に関する議論を国民のなかで醸成させる必要がある。

 

 

 

 

 ここまで読んでくださった方に、このたわ言へご指摘いただけたら幸いです。